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ボブの生涯 アーカイブ

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ボブ・マーリー

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ボブ・マーリーは、ジャマイカのレゲエミュージシャン。
その音楽はラスタファリアニズムの思想を背景としており、彼の音楽・思想は(音楽制作者のみならず)数多くの人々に多大な影響を与えている。

愛用のギターはボディとネックに1ピースマホガニー、指板はローズウッドを使用し、ピックアップにP-90を2基搭載したギブソンのLes Paul Specialであった。

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ボブの誕生

ボブ・マーリー(本名ロバート・ネスタ・マーリー)は、1945年2月6日ジャマイカ北部海岸沿いの小さな村、ナイン・マイルズで生まれました。

彼の父親ノーヴァル・マーリーは、ジャマイカ駐屯のイギリス軍大尉でもちろん白人ですが、母親は地元ジャマイカの黒人でした。

白人と黒人との混血であり、支配者と被支配者との間に生まれた子供という彼の境遇は、彼を苦しめたと同時に、その壁を越えさせる運命を彼に与えました。

彼がジャマイカという小さな島国を飛び出し世界を駆けめぐることになるのも、彼の生み出したレゲエが世界中へと広がって行くのも、すべてはこの彼の生い立ちから始まったと言ってよいでしょう。

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トレンチタウンからの出発

ボブの父親は1955年にキングストンで死亡し、彼は母親とともにキングストンのスラム街、トレンチタウンで暮らし始めます。

歌手として生活費を稼ごうと、ボブはタレント・ショーに出ますが、その頃バーニー・ウェイラーと知り合います。
二人は、ジョー・ヒッグスの指導のもと、コーラスの練習を始めます。

同じく学生時代に知り合ったピーター・トッシュが加わり、彼らはコーラス・トリオとして活動を開始します。
しかし、1962年にシングル・デビューを果たすものの、まったく売れませんでした。

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The Wailers

1963年彼らはジャマイカを代表するスタジオ「スタジオ・ワン」のコクソン・ドッドに認められ、スカのナンバー1バンド、スカタライツをバックにシングル「シマー・ダウン」を録音、ザ・ウェイリング・ウェイラーズとして発売、大ヒットを記録します。

その後、数人のメンバーを加えて、ザ・ソウレッツを結成しますが、結局元の3人に戻り、「ザ・ウェイラーズ」として活動して行くことになります。

そしてこの頃、ボブはラスタファリニズムの長老、マーティモ・プランナーに弟子入りし、ジャマイカが生んだ偉大な思想家マーカス・ガーヴェイから始まったラスタファリニズムに入信します。
そして、ザ・ウェイラーズは、ヘアー・スタイルをドレッド・ロックスにした最初のグループとなります。

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ザ・ウェイラーズの完成

1969年、ジャマイカの大物プロデューサー、リー・ペリーがザ・ウェイラーズのプロデュースをするようになります。

彼はウェイラーズのバックにバレット兄弟を中心とするお抱えのバンド、ジ・アップセッターズ The Upsettersを抜擢し、彼らに強力なリズム隊という武器を与えました。

1971年、さらにそこにタイロン・ダウニー Tyrone Downieという強力なキーボード奏者が加わり、オリジナルのウェイラーズが完成しました。

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ザ・ウェイラーズ、世界デビュー

ザ・ウェイラーズは、イギリスに渡り、「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ I Can See Clearly Now」のヒットで有名なジョニー・ナッシュ Johnny Nashのバックとしてロンドンで録音に参加。

そこで彼らはジャマイカ出身のアイランド・レーベル社長クリス・ブラックウェルと知り合い、正式に契約を交わします。

当時世界進出を目指していたアイランド・レーベルは、ウェイラーズをレゲエ・ブームの切り札とするべく社運をかけてプッシュすることになり、彼らの世界デビュー・アルバム「キャッチ・ア・ファイヤー Catch A Fire」(1972年)が発表されました。

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バビロンへの出発

1973年、イギリス・ツアーをスタート!

すでに評判は、イギリス在住のジャマイカ系黒人層を中心に白人層にまで拡大をみせ始めていました^^

そして、初のアメリカン・ツアーに出動。
そこでブルース・スプリングスティーン、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの前座を務めるのです。